2024年、2度目の京都へ。
前回の反省をふまえ、今回は公共交通機関をフル活用。歩きすぎず、移動の快適さを重視した旅に。
SUICA片手に、少しだけ大人になった京都旅のスタートです。
今回の目的は8つ(+α)
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俵屋宗達の「風神雷神図屏風」をついに鑑賞
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京都市京セラ美術館で草間彌生の版画展&モネ展
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二条城で「アンゼルム・キーファー:ソラリス」を体感
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鴨川デルタを渡る
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先斗町を歩く
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嵐山を散策する
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伏見稲荷大社の鳥居をくぐる
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養源院で「白象」に出会う
+α:予定外だった京都駅に、まさかの未来を見た
1度目の経験があったからこそ、行動範囲がぐっと広がった今回の旅。
少しだけ京都の地理感覚がつかめてきたおかげで、気持ちにもゆとりがありました。
宗達、光琳、村上隆──私と「風神雷神図屏風」


最初の出会いは、東京国立博物館で観た尾形光琳による模写。
風神を見つめる雷神の視線に、「これは模写なのに、まるで光琳自身の世界」と感じた記憶が残っています。
昨年は、村上隆によるポップで妖しい風神雷神に再会。
構図が現代まで生きていることに、改めて驚かされました。
そして今回、ついに“本家”宗達の屏風と対面。
派手さはなくても、静かな緊張感と生命力。
目を離せない、時を超えた名画でした。
この絵が、何世紀にもわたって見られ続けている理由を、肌で感じたひとときです。
草間彌生とモネ、ふたつの世界を歩く

京都市京セラ美術館では、「草間彌生 版画展」と「モネ展」をはしご。
当初は草間彌生だけのつもりが、気づけば両方しっかり鑑賞。
草間作品は、小ぶりながらも強い存在感。
彫師と摺師が丁寧に仕上げた版画には、金属のような質感もあり、彼女の世界観が精緻に再現されていました。
図録はあえて買わず、自分の中に残る記憶を大切に。
「記録より記憶」──これも最近の旅のテーマです。
モネ展は想像以上の混雑ぶり。
一方、草間展は個性的な来場者が多く、作品だけでなく“人を観る”面白さも味わえました。
「アンゼルム・キーファー:ソラリス」


元離宮二条城 通常非公開の「台所」や「御清所」に展示された作品群は、自然光だけの照明によって刻々と表情を変えていきます。
展示ケースにあっても“閉じ込められていない”空気感が漂い、静かに息づくようでした。
キーファーの作品は、美しさよりも「問いかけ」や「ざらついた感情」。
《モーゲンソー計画》では、畳の上に撒かれた砂と麦、そこに潜む蛇。
静けさの中に、戦争と破壊の記憶が横たわっています。
歴史的空間で感じる現代アートの力に、心が揺さぶられました。
🗓 会期は2025年6月22日まで。
静かに熱く、心に残る展示です。
鴨川デルタ、飛び石を渡るたびに広がる風景


京都・出町柳にある「鴨川デルタ」は、賀茂川と高野川が合流して“鴨川”になる場所。
芝生と水辺が広がる三角州のような地形から「デルタ」と呼ばれ、地元の人や観光客が集う憩いの場です。
飛び石を渡れば、川の流れをまたぎながら、知らない誰かとすれ違う瞬間。
譲り合いながら、笑い合いながら、文化や世代を越えて交差する――そんな京都の優しさが、ふと感じられる場所でもあります。
見た目は素朴でも、ちいさな石の連なりが、なんだか象徴的に思えてくるのです。
表と裏が共存する!? 先斗町は“京都らしさ”が詰まった小道


京都・四条大橋のたもとから続く「先斗町通り」は、鴨川の少し外側に並走する細い通り。
町家を活かした飲食店がずらりと並び、昼も夜も多くの人でにぎわう、人気のエリアです。
一方、すぐ内側の鴨川沿いには、緑の草むらや飛び交うサギの姿、ジョギングを楽しむ人たちの姿も。
ほんの数十メートルしか離れていないのに、喧騒と静けさが共存しているこの界隈は、まさに“京都の不思議”。
表通りの華やかさと、川べりの自然がつくり出すギャップが、なんとも魅力的なエリアです。
嵐山へ──自然の中で深呼吸

今回の旅で最も遠くまで足を伸ばしたのが嵐山。
JR嵯峨嵐山駅まで約30分。朝食後に出発したら、修学旅行生の波にすっかり巻き込まれました。
人の流れにのって、渡月橋や竹林の小径へ。
静けさはなかったけれど、嵐山の自然はそれだけで癒しの力があります。
京都中心部とは異なる“緑の深さ”を感じた一日でした。
伏見稲荷大社──登ってわかる本気の信仰

気軽な気持ちで訪れた伏見稲荷。
いざ登ってみたら…想像以上の山道でした!
朝7時から登り始め、なんとか稲荷山の頂上まで到達。
帰宅後、家族に「よく登ったね」と驚かれたほど。
びっしりと並ぶ赤い鳥居が、この地の信仰の厚さを物語っていました。
いい汗、いい経験になりました。
撮れないものを、心に焼きつける

ようやく出会えた、養源院の「白象」。
前回は閉ざされていた扉の前にいた黒猫が、今回の再訪への導きだったのかも。
自然光の中に浮かび上がる、宗達の白象・麒麟・唐獅子。
どこか現代的でもある宗達のタッチには、狩野派とは違う軽やかさを感じます。
村上隆の「もののけ京都」でも描かれなかった“白象”。
風神雷神だけじゃない、宗達の魅力に圧倒されました。
撮影できない空間だからこそ、記憶がくっきり残ります。
京都駅が未来だった

旅の終わり、ふと見上げた京都駅の天井。
「何この空間……!」
ガラスの屋根、どこまでも続く階段、宙に浮かぶエスカレーター。
伊勢丹、美術館、劇場、屋上庭園まで揃ったこの駅は、もはや“未来の観光地”でした。
通過するはずだった場所で、まさかの1時間滞在。
たまたま来ただけなのに、いつの間にか立ち止まってしまう。
そんな出会いも、旅の醍醐味です。
まとめ
2度目の京都は、計画的でありながら、どこか偶然の楽しさも含まれた旅。
展示をじっくり観て、京都の自然に触れ、アートと日常の両方を堪能することができました。
やっぱり京都は奥が深い。
何度訪れても、新しい出会いがあります。