人の行動がスマホによって管理されるようになると、そのひとつひとつがビッグデータへと変わっていく。
SNSを見ていて、広告からサイトにクリックした瞬間、その動きもすべてデータとして記録される。
「あなたへのおすすめ」として、似たような商品が次々と表示される。
YouTubeを見ても、関連動画が次から次へと流れてくる。
確かに、これは便利だ。
自分の好みに合った情報が自動で出てくるのだから。
でも、どこかお節介だとも思う。
自分で選んでいるようで、実は“選ばされている”のかもしれない。
最近ではAIも急速に進化し、次々と新しいサービスが登場している。
スマホのカメラを足に向けると、画面の中でその靴を履いた自分の姿が映し出される。
足を回せば、横からも裏からも確認できる。
これはこれで確かに便利だ。
届いてから「思っていた色と違った」と後悔することもない。
だが、ふと考える。
この「便利さ」は、本当に必要なのだろうか。
地方に住んでいると、実際に手に取って見られない商品も多い。
だからこそネットショップは欠かせない。
販売側にとっても、店舗を介さない直販は利益が上がる。
──こうして、便利さはどんどん進化していく。
それが「時代」なのだと言われれば、その通りなのかもしれない。
けれど、気づけばいつの間にか、
何が本当に便利で、何が不自由なのか──その境界が見えなくなってきた。